インタビュー企画   

【インタビュー】河村渚さん:人と人を"むすぶ"ということ

赤坂の「おむすびJAZZ」を始め、都内に4店舗を展開する株式会社むすびエンタテイメント代表取締役の河村渚さんに、これまでの人生とその流儀をお聞きしました。(2019年5月取材)


左:遠藤隆之介さん、右:河村渚さん


<目次>


【第1回】何故かゲームトーク。

【第2回】つながっていく、この数年間。

【第3回】どうしたらお金が生まれるかを考える。

【第4回】本物志向。


<第2回>つながっていく、この数年間。

遠藤 じゃあちょっと時を進めましょうか。

河村 大学に行くのか行かないのかって話になってきて、別にどっちでもよかったんですけど、みんな行ってるから行った方がいいのかなみたいな。


遠藤 エンタメとの出会いはどこにあったんですか?

河村 歌はちっちゃい頃から歌えたんですよ。ただ、自分がそういう業界に行くなんて考えたこともなくて、人前に出るとかもあんまり好きじゃなかったですし。でも普通に就職するのもなんか違うなぁみたいな。大学入っても面白くなくて、正直大学の記憶ってホントにあんまりなくて、無難に過ごしてましたね。


遠藤 その空白の時期から湘南のレポーターになるまでのことを聞いてもいいですか。

河村 じゃあかいつまんで(笑)。大学にとりあえず行ってて、就職先も特に決まってなくて、専門学校とかに行こうかなと思って、栄養士の学校に行ったんですよ。ただ、あまりにも中身が期待とは違っていて。レベルが低かったというか。


遠藤 スポーツとかだと専門的な知識とか必要そうなもんですけどね。

河村 でも専門学校って、国が定めた要綱をクリアすれば取れる仕組みになっている部分もあるので、とにかく通えば取れるよみたいなのにすごい納得がいかなくて。先生も尊敬できる人もあまりいなかったし、辞めようかなと思ってたんですけど、その時に栄養士の学校の実験授業で知り合った助手の先生がギタリストで、


遠藤 ついにエンタメとのつながりが。

河村 そのギタリストの人が当時5歳上ぐらいだったんですけど、好きな音楽が合ったんですね。で、一緒にバンドでもやりましょうみたいな話をしたり、その人がもともと組んでたバンドのライブ見に行ったりとか、そのつながりでちょこっと演奏をやったりするうちに、私がやりたかったのってこれなのかも、みたいな感じに思って、ちょうど学校も辞めようと思ってたから、それにあたって、本格的に音楽活動しようってその時に思って。で、そこから音楽活動が始まる、みたいな感じですね。


遠藤 ここで河村さんがミュージシャンの門戸を開く、という。長かったですね(笑)。



浅海 そこからビジネスへの着想っていうのはどこにあったんですか?

河村 それは歌い手としてのってことですか?


浅海 そうですね。歌い手になるタイミングでは、もうビジネスとして考えていたんですか?

河村 そうですね。いきなり音楽始めるっていっても何していいかわからなかったので、まずはmixiとかバンドメンバーを探すサイトとかあったので、そこでメンバーを探したりしました。


遠藤 ガールズバンドとかこだわりもなく。

河村 全然ですね。で、結構いろんなところに顔を出して、とある1個のバンドでボーカルを探していて、そこに加入することになったんです。それが「nidai(にだい)」ってバンドなんですけど。


遠藤 それってお店の名前につながってますよね。

河村 そうなんです、一番最初に出したお店の名前で。で、そこにボーカルとして後から加入したんですけど、何曲かレコーディングしてCD出したりしつつ、当時そのバンドだけだと成り立たないから、飲食店とかメイド喫茶とかで働いてファンをゲットしたりしてました。そういう感じで続けてると、いつの間にかアマチュアバンドなんだけどかなりのお客さん呼べるようになってたんですけど、ギタリストとケンカしてたりしたのもあって、結局は解散しちゃったんです。



遠藤 それは納得の解散だったんですか。

河村 うーん、しょうがないかなって感じでしたね。その後、一緒にやってたキーボードの人とベーシストが加入して、三人で活動してました。でもそれも辞めちゃって。その中で、お店で歌い手を募集していたところがあったので、そこで歌い始めていたら、FM YOKOHAMAの方と知り合うことができて、自分がフットサルをやってたってこともあってベルマーレ(湘南)の番組に誘われて、番組をやるようになって、みたいな感じでした。


遠藤 すごいつながりですね。

河村 ただ、2011年に震災(東日本大震災)があった時に、これ(当時の仕事)ってすごい無駄かなって思ったんですよね。毎日消費してるだけというか、ベルマーレの仕事もやりがいはあったんですけど、結局誰がやってもあんまり変わらない仕事なのかなって思っていて。で、もともと福祉とか教育とか"社会の役に立つ"って仕事は興味があったので、ホームヘルパー2級の資格を取って訪問介護をしたり、子供の復学支援の仕事を始めるようになったんです。それは今もう10年近く経つんですけど、お仕事をもらいながら産業カウンセラーの資格とか、家庭教育相談士かな、そういった資格を取ったりして、2年間くらいの間で教育福祉のことと、歌と、レポーターをやってました。それから2014年くらいに、お店のオーナーから、赤坂の店舗の業績が悪くて開けてない状況だから(お店を)やって欲しいって話をいただいて、それで2014年に「nidai」ってお店をオープンさせていただきました。


遠藤 その時は一人で全部やってたんですか?

河村 そうですね。


浅海 それはジャンルとしてはどういうお店だったんですか?

河村 今の「おむすびJAZZ」みたいなお店でしたね。ミュージシャン呼んだりしてって感じで。で、その後は2年目に差し掛かったくらいの時に、自分のことももう一回やりたいなと思って、ガールズバンドを組んでCDをリリースしたり、今までのカウンセリングのお仕事も継続して行っていたので、その経験が活かせるかな?と思い、結婚相談所を開業しました。


遠藤 結婚相談事業の方はあんまり知らないんですけど、どんな感じでふだんは活動してるんですか?

河村 お見合いのセッティングと、結果報告と、随時アドバイス、みたいな感じですね。


遠藤 個別カウンセリングみたいな。

河村 そうですね。希望がある方には月に1回アドバイスとかするんですけど、地方に住んでいる方もいるし、基本的にはネットを介してって形でやってますね。


遠藤 結婚相談所と「nidai」は並行してたんですか?

河村 2ヵ月くらい並行してましたね。(お店を)辞めるって決めた、移行期間くらいに開業しているので。


遠藤 「nidai」を辞めるって決めた理由ってなんだったんですか?

河村 ずーっとそこで同じことをやるってイメージがわかなかったってのが一番の理由ですかね。あと家賃も高かったですし。続けるってこともできたんですけど、やっぱり縛られちゃうかなってその時は感じていて。でも、「nidai」を辞めてから8ヵ月後に「おむすびBAR」を開業しているので、やっぱりお店とか場所があった方が便利だなっていうのがあって、ただ「nidai」は持ち物が(お店をやって欲しいと言っていただいた)オーナーさんのものだったので、「おむすびBAR」は自分の名義にしたってところはありますね。


遠藤 ここまで聞いてこの2、3年ですごく変わりましたよね。自分も2、3年後はどうなってるんだろうって思わされました。



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(つづきます)


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